平成17年03月16日 衆議院 外務委員会

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自由民主党 竹下亘
さて、きょう11時半過ぎでございますが、島根県議会におきまして、竹島の日を制定する条例が可決、成立をいたしました。条例そのものはわずか3条から成るものでございます。趣旨が書いてあり、竹島の日は2月22日とするという日にちが書いてあり、そして県は必要な施策を講ずるよう努めるものとするという県の責務が書いてある、この3条から成っておるものでございます。

なぜ2月22日が竹島の日と島根県議会が設定したかということでございますが、今からちょうど100年前、1905年2月22日に島根県告示において竹島を島根県の領土として公示をしたという、その日にちなんで竹島の日というものを設定した次第でございます。

しかるに、韓国からの報道によりますと、その竹島の日の設定をめぐってさまざまな動きがある。デモが起きる、あるいはみずから指を切るという、自分を傷つけて抗議をする人まで出ておる状況でございます。

しかし、日本と韓国の間には厳然として竹島をめぐる領有権の課題が残っております。日韓基本条約のときにもその議論があり、しかしその議論をおいて日韓基本条約を締結したという歴史的な経過もございます。

竹島は、これまで政府が繰り返してまいりましたのは、歴史的な事実に照らしても、国際法上から見ても我が国固有の領土である、こう日本は言い続けてまいりましたし、私は、その思いに一点の曇りもない、変化はない、こう確信をするわけでございますが、外務大臣、それでよろしゅうございますか。

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外務大臣 町村信孝
議員御承知のとおり、この竹島問題に対する政府の立場、考え方は一貫をしておりまして、ここであえて繰り返しませんけれども、私自身も先方、潘基文外相との会談においてこの問題を提起し、主張したこともございます。今後とも毅然とした態度で努力を重ねてまいりたいと考えております。

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自由民主党 竹下亘
今、なぜこの時期に島根県が動いたかという意味でございますが、私自身、島根に生まれ、島根に育ち、やがて島根の土となる一人でございます。そうしたふるさとへの思いの中で、一つは北方領土との関連とでもいいましょうか、実は、1952年に李承晩ラインが設定をされて以降、328隻の船が、漁船が拿捕をされ、3929人が抑留をされております。このうち44人は死傷、亡くなったりけがをされたりいたしております。