昭和37年11月10日 参議院 運輸委員会

[043]
日本社会党(社会民主党) 中村順造
運輸大臣はいずれにしても池田内閣の閣僚であることは間違いないわけでありまして、そういう意味で、まず、韓国が昭和22年の2月以来今日まで、船の数にして294隻、人員にして3597名、その中で沈没した船が2隻、それから死亡人員が8人、こういうふうな実態になっておるわけです。

特に私は、本委員会できょう取り上げておることにつきましては、去る10月の13日ですか、二十二昭徳丸の拿捕、特にその拿捕の状況などを判断しますと、断じて許すことのできない内容を持っているわけです。そういう意味におきまして、逐次海上保安庁なりあるいは外務省からも出席をお願いしておりますので、その意味で質問を続けていきたいと思いますが、まず運輸大臣に、今申しましたような観点からいたします大臣の考え方、特に、今わが党はあげて反対をいたしておりますが、日韓交渉の大詰めを迎えた今日の段階で、こういうふうないわば海賊的な行為というのが今なお続けられておる、この点につきまして、大臣のお考えをまずお聞きしたいと思います。

[044]
運輸大臣 綾部健太郎
日韓問題も大詰めに来まして、いろいろな問題が解決されるように、私どもは閣議においても外務省からその報告も受け、特にそういうことのないように厳重に外務省を通じて日韓間の交渉を進めていくように要望いたしておりまして、大体、日韓交渉が妥結する場合には、かようなことも同時に根本的な、あるいは根本的に近い方向に日韓会談が妥結し、したがって李ラインの問題も解決されるように期待をし、そういう方面に閣議でも努力いたしておるのであります。

[045]
日本社会党(社会民主党) 中村順造
大臣の言われておることは、何かそのまま聞くと、今までの李ラインというのはあっても仕方がないのだというふうな前提に立った御答弁のように受け取れるわけです。しかし、私どもは、李ラインというものはあくまで不当なものであり、断じて許されない公海上における一方的ないわゆるそういうラインであって、みずからの利益を守る、こういう考え方に立っておるのであるし、なおかつ、今までの経緯から見ますと、それはあるいは昔でいう人質というようなものをとって、そうしてみずからの立場を有利にする、そういう考え方もこれにはうかがえるわけです。

そういう意味におきましては、大臣ももっときぜんたる態度をとってもらいたいと私は思いますが、大臣と今そういう点について繰り返してやっても仕方がないことでありますから、話を進めますが、まず海上保安庁にお尋ねします。特にこれは10月13日の問題でございますが、10月13日の午前0時14分ですが、それから始まりましたいわゆる韓国の警備艇による第二十一昭徳丸、第二十二昭徳丸の追跡、最終的には第二十二昭徳丸が拿捕された。

私の手元にあります資料によりますと、必ずしも海上保安庁の巡視艇が、ほんとうに日本の漁船を守るために、文字どおりあらゆる手段を尽くしたというふうには理解がとれないわけです。いろいろ傍受された無線の記録なども私は持っておりますが、その意味におきまして、いろいろあなたのほうでは、こうだ、ああだと言われると思いますけれども、どういうふうな状況であったのか、まず一通り伺って、そうして内容に入りたいと思いますが、まず13日の午前0時14分から4時30分、二十二昭徳丸が拿捕される間における巡視艇の配置状況、それから巡視艇のとった行動などについて説明を願いたいと思います。

[046]
運輸大臣 綾部健太郎
中村委員の、私が韓国側の李ラインに関してとった行動は当然であるかのような考えであって、韓国側が不当であり、不法であるということを認識した前提で外務省と交渉しておらぬかのようなお話でございますが、私はさような考えは持っておりません。きぜんというか、何というか、強く不当行為、不法行為に対しては、外務省として、あるいは政府としてやるべきであるということを、しばしば外務大臣にも言うて、外務大臣もそのように了承して、そのもとに折衝しておるように聞いております。詳細は、外務省から来ておりますから、その経過の内容は後刻報告いたさせます。

[047]
日本社会党(社会民主党) 小柳勇
関連して。運輸大臣の言葉じりをとるのではございませんが、初めの中村君の質問に対して、大臣の決意を聞いておりまして、私どもはきぜんたるということを感じませんでした。したがって、もう一度大臣に質問してもらうように中村君に言いましたが、今補足の説明がありましたから、私は関連して質問いたします。

第二十二昭徳丸拿捕事件については、大臣はその事件の概要なり現状を御存じであるかどうか御答弁願います。

[048]
運輸大臣 綾部健太郎
一応、海上保安庁長官から報告は受けておりますが、詳細は保安庁長官に説明いたさせます。

[049]
日本社会党(社会民主党) 小柳勇
大臣、重ねて質問いたしますが、第二十二昭徳丸事件は今までの拿捕事件と若干性質が異なると私どもは理解いたしております。中村君が激しい言葉で海賊的行為という言葉を使いました。李ライン外に出ておる、しかも漁獲をやっておらない、ただ航行しておる、自分の漁場に向かう航行中の日本の漁船に対して、2隻の韓国の船が参りまして、銃をもって脅迫して、しかもその銃をさかさにして殴打しておる。銃が折れたという事件です。そうして拿捕しておるわけです。

このような事件を知っておられるならば、日本国民として、しかも運輸大臣として、もっと激しい憤りを持ってこの事件を処理されるのが至当だと考えます。今の御答弁では、その事件の内容を知られぬように私は思いました。ですから質問いたしました。その点も御存じでしょうか。

[050]
運輸大臣 綾部健太郎
よく知った上で、外務大臣にも交渉いたしております。

[051]
説明員(海上保安庁長官) 和田勇
それでは、ただいま中村先生からお尋ねの点につきまして、簡単に御説明申し上げます。

第二十二昭徳丸が拿捕されました場所は、農林244区の付近でございます。12日の12時30分から厳戒警報発令中でございました。厳戒警報発令と申しますのは、警備艇が非常に近接しておるから漁労中の船は網をあげて待機してほしいというような場合に出す警報でございます。

次に、第二十二昭徳丸は第二十一昭徳丸と組んで作業しておったのでございますが、その第二十一昭徳丸が母船でございまして、これがこの警報を受信いたしました。二十二昭徳丸自身は受信をいたしておりませんでございました。しかし、第二十二昭徳丸は、二十一昭徳丸から、逐一われわれのほうから出しております警報を全部は聞いておらなかったようでございます。

次に、やや詳しくなりまするが、当時の模様を申し上げます。

この二十二昭徳丸は、10月の12日の午前9時半ごろに福岡を出まして、青島沖を漁場に向けて出港いたしました。私のほうの巡視船の「こしき」というのがございますが、これが韓国の警備艇の868号、これを発見いたしましたので、追尾警戒いたしておりましたところ、13日の0時10分ごろに同警備艇が35度に変針いたして参ったのでございます。そこで、「こしき」は直ちに前方8海里付近に進路を西南西に向けまして航行中の船影をレーダーで認めましたので、速力を速めてこの船に近づくとともに、無線並びに探照灯照射によりまして漁船の退避を指示いたしました。この船につきましては、何らこれに応ずることがございませんで、依然として西南西方向に航行を続けておったのであります。

1時ごろに警備艇868号がこの二十二昭徳丸に約1海里に急速に接近して参りました。そのときに「こしき」と漁船との間は1.5海里程度でございます。1時40分ごろに「こしき」と、さらに868号は、ともにこの二十二昭徳丸の100メートル近くまで接近して参りました。そこで、二十二昭徳丸の逃走を、逃げていただきたいということで、昭徳丸に「こしき」を回って逃げろというふうに指示いたしました。同時に、煙幕を張り、探照灯を照らしまして、積極的な拿捕防止に当たったのでございます。しかし、この二十二昭徳丸は非常に速力がおそうございまして、脱出が困難と認められましたので、漁船に対しまして乗組員に「こしき」へ移れということを再度にわたって勧告いたしましたが、船のほうからは機関が好調だからということで乗って参りませんでした。

一方、韓国の警備艇の865号というのがございますが、これは12日の22時ごろから、農林244区の3、あるいは245区の1、236区の7、234区の9、この辺の海上を行動中でございまして、この警備艇には、私のほうの巡視船の「あわじ」が追尾警戒を行なっておりました。その間に、第三十八海洋丸、天佑丸、いずれも日本の漁船でございますが、あぶないからということで退避させたのでございます。

さらに、13日の午前2時30分ごろに、巡視船「あわじ」は、1時50分ごろから行動をともにいたしておりました巡視船の「よしの」に865号の追尾警戒を引き継ぎまして、二十二昭徳のほうに急行いたしましたが、ちょうど2時30分ごろに、865号も、また868号も、この拿捕に向かうということでございまして、3時30分ごろに第二十二昭徳丸の現場にほとんど同時に2隻の警備艇が着いたのでございます。そこで、私のほうの巡視船「こしき」は、868号に対しまして、また巡視船「あわじ」及び「よしの」は、865号に対しまして、それぞれ拿捕防止を行なったのでございますが、二十二昭徳丸はこの両警備艇にはさみ打ちになりまして、4時30分865号は二十二昭徳丸の右舷の船尾に追突いたしました。そうして武装員が乗って参りまして拿捕されたのでございます。

さらに、二十二昭徳丸に乗って参りました韓国の警備兵にこの漁船の船員2、3名が銃でなぐられたようでございます。これは確かでございます。

その際に、乗組員数名が海の中へ飛び込みまして、5名は私のほうの「よしの」に救助されたのでございますが、他は、ちょうど暗いところでもございまするし、探照灯のあかりで間違って向こうの警備艇に泳ぎついて収容されたのでございます。

13日の5時15分に、私のほうの「こしき」は、警備艇に接舷を求めましたが、拒否されております。また、二十二昭徳丸の乗組員の釈放を交渉いたしましたが、これに対しても何らの応答もございませんで、5時30分に警備艇868号は漁船を引っぱって、13日の23時30分に釜山に入港いたしました。なお、巡視船「よしの」が救助した5名以外の7名は、韓国に抑留されております。こういう状況でございます。



[088]
日本社会党(社会民主党) 中村順造
そこで、まずお尋ねしますが、冒頭申し上げましたように、船の数にして294隻、人員にして3597名、こういういわゆる不当拿捕が今日まで、昭和22年から続けられておりまして、これは国会で問題になったのも、今回が初めてでないと思います。



[096]
日本社会党(社会民主党) 中村順造
それから、これは私のある資料では、昭徳丸については、これは李ラインの外だ。それは追いつき、追いつかれた過程においては、233にしても244にいたしましても、李ラインの境界線ですから、これは漁船の場合は外におったと言うし、向こうの場合は内におったというでしょう。いずれにしても、これは漁場に向かうから(空)船なんです。魚を一匹も積んでおらない。今から魚をとりにいく青島の沖にとりにいくという性格の船、それを拿捕して、まあ航海日誌に、いつか李ラインの中で漁をしたとか、その日誌を根拠にして、これに対して向うは裁判をして、そうして犯罪者だという認定のもとに、1年か10カ月かの実刑を盛ると思う、これは今までの経験からみて。

それからその後において、2、3日後におきまして第五大洋丸というのが、これがまた拿捕されている。これもまた同じ目的で青島沖に漁に行く船が、これは拿捕されて、第五大洋丸は釜山に連れていって――それは釈放しておる。