昭和27年11月29日 衆議院 水産委員会

[014]
参考人(漁業) 江口次作
地図について御説明申し上げます。

私ども以西漁業を営んでいる者は、中間漁区を含めて130度以西の東海黄海を漁場とし、南の方は台湾の北までの漁区をもって漁場としている者でございます。こちらに青く入っておりますものが旧マッカーサー・ラインでございますが、これは御承知のように講和の3日前に廃止になりまして、一応漁場がオープンになったと考えられる次第でございます。その細く赤く書いてありますのが9月27日に示されましたいわゆる防衛水域の海面でございます。この赤く大きく入っておりますものが27年の1月中旬に発表されたいわゆる李承晩ラインでございます。それでこの130度以西の漁場の中の、このクラーク・ラインの先駆をなすものとして漁場のあり方をごくかいつまんで申し上げたいと思います。

私どもの一番よい漁場であります山東岬角からこちらの方に寄りました漁場は、中共の圧迫によりまして公海のまん中においてすら拿捕が続き、現在98隻という隻数が拿捕されておるのでございます。これは以西の全漁区の1割5分に相当する漁船が拿捕されております。しかも向うは、拿捕をいたしますとそれにすぐに機銃をつけまして、今度は日本漁船の拿捕に向うのであります。ちょうど将棋の駒と同じようでありまして、向うに駒をとられるとそれが向うの駒になってこちらに王手、飛車取りをかけて来るという状況で、現在すでに98隻がとられている状況でございます。

それで中共の出て参ります限界はどこかと申しますと、はなはだ皮肉な偶然でございまするが、李承晩の宣言したこの124度の線の西側すれすれにずっと中共は来ておるのでございます。そうして南の方はこの図面の下になりますが、上海の南の方になります。北緯の29度から北、東径の124度から西の方は中共の完全な勢力下になっておりまして、一ぺんここに出れば拿捕される危険な水面だ、かように御承知おき願います。従いまして私どもに残された漁場は29度から南、これは大陳島という所に国民政府の海軍の根拠地があるようでございますが、あの29度から南26度に至る間、180マイルのわずかな水域と、それから朝鮮のこの水域が私どもに中共から残されておる安全な水域であって、ここが一番大事な区域であるというように私どもは実は考えておったのでございます。

ところが、李承晩ラインは27年の1月に制定されておりましたけれども、これは実際上は何らの害もなく、8月に及んだのでございます。先生方のお手元にも参っておるでしょうが、日本週報に詳しく書いてございますが、8月14日に山口県の萩に国籍を持っております第五七福丸という船が済州島の東の30マイルの所で操業しておったときに、韓国の海軍が参りまして、これを拿捕して行ったのであります。そうしてこれをひっぱって行って、済州島に行って裁判にかけたのですが、結局そのときに何と言ったかというと、お前のつかまった場所は確かに30マイルの所だ。しかしお前はその前日に牛島の水道に入っておって、領海1マイル半の所で操業をしておったということで脅迫したそうでございます。私はその船長からじかに告白を聞きましたが、非常に生命の危険があったので、泣く泣くであって、私は神かけてこんな所にその前日行っておったはずがないと言っておりましたが、ともかく前日その辺に何か日本の船がいたというのだそうであります。それで、これはお前らしいということで、これはお前だと強制的に自白を強いまして、裁判の結果が船、漁具没収、船長、機関長は懲役2箇月、罰金5万円、そのほか2人ばかりが罰金刑ということで、体刑を受けて労役に服して帰って来ております。

それから引続きまして、9月の12日と思いますが、長崎県のさばのきんちゃくをしておりました二十七海鵬丸という船と、同じく長崎県の船で松寿丸という船がやはり済州島の東側で操業しておりましたときに、韓国の軍艦にひっぱって行かれたということであります。これは乗組員のうち34名下の方は帰っておりますが、責任者の10数名がまだ帰っておりませんので、はっきりしたことはわかりませんが、当時付近におりました船からの状況を総合いたしますと、少くとも10数マイル離れたところに操業しておるのにひっぱって行って、同じようにここでお前は領海侵犯したというかどで起訴、告発しておるというのが現状でございます。おそらくこの結果も第五七福丸と同じような判決が下るものでないかと私は推定しておるのであります。

ところで以上3隻は防衛水域の設定前の今年のできごとでございますが、9月27日に防衛水域の設定が発表されまして、続いて10月5日になりますと、李承晩大統領は海洋侵犯の取締り令を出す。そしていわゆる李承晩ラインの方を法的に裏書きするような措置に出ておったのでございます。それで、私どもは現地において非常に心配いたしまして、東京の情報を待つ一方、佐世保に韓国の駐在武官の金少佐がおりますが、金少佐に人を介して情報を探りましたところ、その金少佐から探った情報というのは、韓国の海軍司令官が麾下の艦隊に対して次のような命令を出しておる、韓国の海軍は友援軍――国連軍だそうですが、友援軍の封鎖作戦に協力して、この防衛水域内の警戒の任に当る、二つには、大韓民国及び国連軍の発行する証明書を持たない船は処罰するのだ、大づかみにしますとそういう二点を情報として私どもは聞いておるのであります。そういたしますと、先ほど倭島局長さんから承りましたような国連軍の意図と、韓国海軍の意図と、ここに非常な食い違いがあるのじゃないかと私ども考えておるのであります。一つは、国連軍の方では、韓国海軍は国連軍の指揮下に入っておるかのごとくにあるいはお考えになっておるのかもしれませんが、今申しました情報によりますと、韓国海軍は独自の権能を持っておるのだと韓国は考えておるようであります。二つには、クラーク大将の方は純然たる作戦のために立ちのきを命ずることがあり得るというお考えのようですが、韓国の方は、自分の方あるいは国連軍の証明書を持たない船はみな追い出す、こういうのがこの情報の食い違いでないかと考えております。

それならば、実例はどっちの線に沿って行われたかということを申し上げますと、10月13日午前3時、当時済州島の東の端の牛島から巨文島を結んだ線から大体10マイルくらい離れた所に、静岡県、千葉県、鹿児島県あるいは長崎県からのさばのつり船が、当時200余隻行っておりましたが、その晩は40~50隻たったろうと思います。これが今申し上げたように巨文島を結んだ線から大体10海里離れておりますが、やはりクラーク・ラインの内側で操業しておりましたときに、韓国の軍艦数隻――夜陰でありますので隻数ははっきりわかりませんが、数隻から曳光弾の攻撃を受け、次いで小銃が乱射されましたので、くもの子を散らすように逃げ帰りました。幸いこのときには、被害は、死傷者も拿捕の船もなくて済んだのであります。

続いて10月21日になりますと、済州島の東南東、やはり牛島から30マイルくらい離れておることがあとでわかりましたが、この地点に韓国の監視船2隻からサーチライトが照射されまして、2隻の漁船が遁走しておるのであります。

続いて10月24日になりますと、下関の手操り船の出雲丸という船が、巨文島のばら島のサウス・ウェスト23マイルの地点で操業しておるところを、韓国の駆潜艇らしいものが3隻参りまして、これはクラーク・ライン内であるからといって退去を命じたわけであります。

10月25日になりますと、門司の第一管区に所属しております海上保安庁の巡視船の壱岐という470トンの大型の船でございますが、それが今度は済州島の南の水域を航行しておりましたときに、韓国の砲艦から停船命令を受けた。それでこれは、公海上であるからというので拒否して航行を継続したところ、この海上保安庁の船に対して数発の小銃弾を撃って来たのでございます。

10月の30日には下関のさばのきんちゃく船の東天丸、南天丸という船がやはり済州島の東の方の水域で、農林254といいますから10数マイル離れておる所にやって参りましたところ、韓国の海防艦から、やはりクラーク・ライン内であるからというので退去を命ぜられておるのでございます。

以上の場合は全部クラーク・ライン内であるからといって撃たれたり、あるいは退去を求められたりしたのでありますが、11月の10日になりますると、初めてこの李承晩ライン内の操漁を禁止するというケースが起ったのでございます。

それは下関の第三進魚丸という手繰り船です。これが農林233といいましてちょうどこのクラーク・ラインと李承晩ラインとの間でございますが、そこで韓国の軍艦が2隻とそれから遠くにアメリカの軍艦が1隻おったそうであります。都合3隻が来て、そして韓国の軍艦が横づけをいたしまして、お前は新しい法律ができたことを知っておるか。知らないと言ったところが、李承晩ラインというものができた。そこで初めて李承晩ラインというものが問題になったのですが、李承晩ラインができて、お前はこの李承晩ラインの中に8マイル入っておるから、11マイル南に下れ。というのは、この李承晩ラインからさらに3マイル外へ出ろということだと思いますが、命じられたということであります。しかもこの韓国の掃海艇の持っておった海図には、今の防衛水域のこの線は入っておらなくて、この李承晩ラインの線だけはちゃんと記入されておったということでございますから、事態はきわめて重大視する段階に入ったのではないかと私ども考えております。

以上申しましたように、私どもが佐世保から知り得た情報では、日本の漁船といいますか、韓国及び国連軍の証明書を持たざる限り全部ここから撤去させられるのだということは、佐世保のいわゆる海軍の司令官が麾下の艦隊に出したという命令通りにそれが実行されて、日本の漁船は見つかると全部、防衛水域はおろか、李承晩ラインより外に追い出されておるというのが実情であると考えます。

それからその後に起りましたケースといたしましては11月の15日でございます。これは場所は全然違いまして、朝鮮の西海岸のちょうど北緯36度の地点なんでありますが、推定場所で北緯36度10分と124度45分、その辺に下関の手繰り船の第六、第七日進丸というのが操漁しておりましたところが、アメリカの空母と駆逐艦とがやって参りました。ちょうど真夜中でございましたが無燈でやって参りまして、いきなり空母を守っておりました駆逐艦が漁船に横づけになりまして、この漁船を曳航しまして、38度の線に近いところに巡威島という島嶼がございますが、そこに連れて行きましていろいろ取調べをしたのでございます。そのときに、お前たちはウォー・ゾーンを知らないか。戦争水域といいますか、これを知らないかと聞かれて、船長は、いや自分は李承晩ラインとかクラーク・ラインというものは聞かされておったけれども、ウォー・ゾーンというものは聞かないと言いました。ところが向うの駆逐艦から来ました中佐だったそうですが、それは対島から釜山を結び、それから山東岬角を結んだその北の方がウォー・ゾーンだということを申したそうであります。そこで船長はおかしいと思ってしつこく聞きましたら、沿岸の警備隊の船が来るからそこでまた詳しく説明をするということでありました。そしてすぐ、コースト・ガードと申しますか、沿岸の4000トンくらいの巡洋艦が参りまして、そこから中佐と大尉が参りまして取調べをいたしたそうであります。――言い忘れましたが、前に取調べた海防艦はTAVLOR468号という船であったそうでございます。そのあとで、このコースト・ガードのイギリスの国旗を掲げた4000トンくらいの巡洋艦が参りまして、その大尉と中佐が来たそうであります。その大尉がウォー・ゾーンといって示してくれたのは、37度45分ですから大づかみに38度と御記憶願っていいのですが、この38度から124度の線を下りまして36度、こう結んだ線、これがウォー・ゾーンだ、こっちには全然来ちゃいかないのだということを言ったそうでございます。だからこっちだけは来ちゃいかないのかと言ったところが、こっちへ来ちゃいかないのだ、それで船長がしつこく聞いたところが、防衛水域と李承晩ラインという問題は、全然イギリス及びアメリカのこちらに来て調べました船は問題にしていなくて、結局36度、124度の線だけは来るな、かようなことを申したそうであります。そこで私どもはこの線だけはほんとうに作戦水域であって、あとのところは朝鮮がかってに追っ払っておるのであろう、国連軍の純然たる作戦水域ではないのじゃないかということが、実は考えられて来ておるのでございます。

たまたま今の第六、第七日進丸の船長の取調べと符号いたしますように、11月の17日に釜山の朝鮮の漁業をやっております金光水産の代表者である金光浩という男が下関の私のところに参りまして、いろいろ朝鮮の漁業の話をしておるのを聞きましたところ、自分たちは許可証を持ってこっちの方で自由に操業しておる。しかし韓国政府から、この36度以北とそれから東海岸では37度から北は行っちゃいけないという命令を受けておるという話をしておるのでございます。もっともそのときには、この124度ということは全然申しておりませんでしたが、36度から北は私どもも行けないようになっておる、東の方は37度から北は行けないようになっております、こう言っておりました。従って韓国の意図はこっちだけを禁止して、あとは韓国の漁船は随時に操業しておるのだ、日本の漁船は、数数申し上げました事例のように、完全に締め出されておるのだというのが実態でございます。