昭和40年03月01日 衆議院 予算委員会

[171]
日本社会党(社会民主党) 野原覺
そこで、外務大臣にお尋ねをいたします。1952年に李ラインは李大統領の宣言によって設定をされたのであります。それ以来、海賊行為が繰り返されまして、日本漁船は拿捕される、漁船員は抑留される、投獄をされる、こういううき目を見たのでございますが、これは、外務大臣でなくてもけっこう、運輸大臣でもけっこう、一体日本の漁船が過去においてどういうひどい目にあってきたと政府は考えておるのか。漁船拿捕の数、漁船員抑留の数、投獄された数、それらのものをお述べいただきたい。

[172]
運輸大臣 松浦周太郎
御答弁申し上げます。

韓国による拿捕数について、これは、40年3月1日海上保安庁の調べであります。昭和22年以来現在までに、韓国より拿捕されたものは326隻でありまして、3904名、このうち帰還したものは141隻、その人数は3896名、このほか、拿捕抑留中沈没または死亡したものが、船が3隻、人は8名であります。でありますが、現在未帰還はありません。ただ、船体は181隻残っております。船員は全員帰還いたしております。

なお、年度別、数字別、詳細にわたっては水産庁のほうが詳細にわかると思いますが、われわれのほうはこれだけ以上、詳細はわかりません。

[173]
日本社会党(社会民主党) 野原覺
では農林大臣にお尋ねいたしますが、佐藤内閣になってから逮捕された漁船、漁船員、それらの李ラインを原因とするいま運輸大臣が発表された事柄について、佐藤内閣になってからは一体どれだけの損害を日本は受けてきたか、逮捕されたか、これは御発表願いたい。

[174]
農林大臣 赤城宗徳
政府委員から数字を答弁させます。

[175]
政府委員(水産庁次長) 和田正明
昭和39年におきます拿捕隻数は9隻でございます。拿捕人員は99名、現在未帰還の人員はございません。

[176]
日本社会党(社会民主党) 野原覺
9隻とか99名だか、椎名外務大臣、これは抗議をしましたか。いつどういう形で抗議をしましたか。あなたは日韓の会談をまとめようと思って韓国に非常に協力的なんだが、どういう形で、いつ、何回抗議をして、それに対して韓国の政府は何と回答しました。

[177]
外務大臣 椎名悦三郎
そのつど抗議を申し上げてあります。

[178]
日本社会党(社会民主党) 野原覺
そのつど抗議と言いますけれども、これは、佐藤内閣になる以前から、つまり韓国は李承晩ライン、李ラインを設けてきてからこの方のことなんです。ただ抗議抗議で事は終わっておるのですよ。これは、日本の国民感情として了解できないのです。なぜこれを国際連合に持ち出すということを今日まで政府はやらなかったのか、その理由。

[179]
外務大臣 椎名悦三郎
かなり長くかかっておりますけれども、日韓間の問題はできるだけ平和裏に解決したい、話し合いによって解決したい、こういう考え方のもとにそのつど抗議をし、話し合いの機会を持つようにしてまいったのであります。

[180]
日本社会党(社会民主党) 野原覺
国際連合に持ち出すことは平和裏の解決ではないのですか、お尋ねします。

[181]
外務大臣 椎名悦三郎
それは平和的でないとは言いませんけれども、まあお互い一衣帯水の間柄でございますから、話し合いによって解決をつけたい、こういう方針のもとに従来この方針をとってきたわけであります。

[182]
日本社会党(社会民主党) 野原覺
あなたのようなふらふら腰では、残念ながらこれらの問題は解決できない。何ということを御答弁なさるのだ。国際連合を何のために設けているのであるか。国際法違反のラインを引かれて、そこを侵犯したからといって海賊行為をやられて、それでもあなたは黙っておるのでしょう。それで一体日本政府の外務大臣ですか。日本政府は一体何をしているのだ。これはたいへんなことなんです。